桃山教会

キリストの聖体 説教キリストの聖体

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2023年6月11日
  • 福音箇所
  • ヨハネ福音書6章51~58節
  • このパンを食べる者は永遠に生きる。(ヨハネ6:58)

 「時々無性に食べたくなる」そういうものが、誰にでもあるのではないでしょうか。私は、「伝説のすた丼」、食べたくなることがあります。これは、私が若い頃に住んでいた東京の国立の、とあるお店の「スタミナ丼」のことですが、ニンニクが効いたこの「すた丼」、関西に来てからもう、食べられなくなっていたんですが、その後、国立発祥のこのお店が、全国展開に乗り出して、なんと河原町教会のすぐそばにもお店ができて、私は、大喜びで、よく食べに行っていました。残念ながら、このお店はもう閉店してしまって、今は、自分で、この「すた丼」を作ろう、いろいろ試しています。やっぱり、食べ物というのは、私たち生き物の究極的な関心事に、違いありません。「人はパンだけで生きるのではない」という言葉も、「パンだけじゃないけど、パンによって生きている」という現実は、ちゃんと認めているわけです。  どの宗教の信仰生活にも、祈ること、学ぶこと、修行すること、それはありますが、でも、キリスト教の場合、「食べる」ということが、極めて重要で、そこがユニークなところです。今日の福音でも、イエス様は、「わたしの肉はわたしの食べ物。このパンを食べるものは永遠に生きる」そう教えてくださっていて、だから、私たちは、「ミサで、ご聖体のイエス様を食べる」これが信仰生活の中心になっています。祈る、学ぶ、修行する。確かに大切ですが、でも、命にとっての決定的重要性、という点で、「食べる」ということの大切さには、及ばないんじゃないでしょうか。「食べる」ことは「生きる」ことであり、神様が、「食べる」ということを通して、人に救いをもたらそうとしている。これは、じっくりと考えてみればみるほどに、そこに込められている、計り知れない、神様の愛と慈しみが浮かび上がってくるんじゃないでしょうか。目に見えないはずの神様が、目に見える形になってくれて、しかも、食べ物になってくれて、「これを食べなさい」って言ってくれて、人はそれを食べればいいだけ。凄過ぎないでしょうか。これを食べさえすれば、今日イエス様が「このパンを食べるものは永遠に生きる」そうおっしゃっている通り、私たちは、救われます。   「福音書」によると、イエス様も、本当によく飲み食いをして、「大酒飲みの大食漢だ」と言われるくらいでしたが、神様は、人間がどれほど「食べること」に強く引きつけられるかを知っておられ、だから、「食べること」を通して救いを与えてくださる。ここに、今日お祝いしている「キリストの聖体」の極意があります。  さて、私も「伝説のすた丼」作りに励んでいますが、私たち、口にするすべての食べ物によって、この命が生かされている。どれだけ食べ物に感謝しなくてはならないでしょうか。「キリストの聖体」の日にあたって、食べ物の恵みを、改めて見つめてみましょう。そして、食べ物によって生かされている私も、また、誰かの食べ物になれますように。イエス様のように、食べ物になれますように。その恵みを、祈り求めましょう。きっと、イエス様は、私たち一人ひとりを、伝説の食べ物にしてくださいます。

第一朗読 申命記 8:2-3、14-16
(モーセは民に言った。)あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。主はあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出し、炎の蛇とさそりのいる、水のない渇いた、広くて恐ろしい荒れ野を行かせ、硬い岩から水を湧き出させ、あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。


第二朗読 コリントの信徒への手紙 10:16-17
(皆さん、)わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。


福音朗読 ヨハネによる福音書 6:51-58
(そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。)「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

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