桃山教会

主の昇天 説教主の昇天

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2023年5月21日
  • 福音箇所
  • マタイ福音書28章16~20節
  • 私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイ28:20)

「八代将軍吉宗」という大河ドラマがあって、こんなシーンがありました。将軍吉宗の長男の家重、ドラマでは中村梅雀さんが、演じていましたが、ある時その家重が、庭に植えてある梅か何かの木をじっと見つめていて、そこに、小林稔侍演じる家臣の加納久通という人が通りかかって「何をされてるんですか」って聞くと、家重は、「この木は、まだ自分が幼かった頃に母上が植えてくれたもので、私は悲しいことであると、ここにやってきて、優しかった母上のことを思い出すんだ」というようなことを言いました。久通は、それに心を動かされて、家重のお父さんの将軍吉宗、西田敏行が演ってましたが、吉宗のところに行って、そのことの次第を伝えて、「もうとても感心しました」って言うと、吉宗は、嘆きながら「もうそんなことに感心するやつがあるか。いい年をしてまだ母親の面影に甘えてるなんて。ほんとに情けない。そんなんじゃ将来将軍は務まらないぞ」みたいに言います。そんな吉宗を咎めて、久道が語った言葉を、もう20年近くも前のドラマですが、いまだに私は覚えています。久通は「上様は、強くて賢くて優秀な将軍ですが、ただ、もののあわれ、というものをわきまえておられない」で、こう言ったんです。「人の心は空よりも広く、海よりも深うございます」結果的にこの言葉が吉宗の深いところに響いたようで、吉宗はこの、ひ弱で、情けなく、人望もなく、誰が見ても将軍が務まるとは思えない家重をもう諦めて、優秀だった次男の宗武を次期将軍にしようと決めていたのに、それを思い直して、家重を九代将軍にします。「人の心は空よりも広く、海よりも深い」これは、「人は誰でも神秘であり、永遠の命であること」を語っている言葉に他なりません。吉宗がこの言葉によって、「目に見える世界を超えたもの」と出会った、そのことが鮮やかに描かれていた一場面でした。  今日は、「主の昇天」で、イエス様はその、限りなく広い空に、昇っていかれました。普通、私たちは、自分が空よりも広いこと、すっかり忘れ去って、目先のことに閉じ込められてしまっています。でも、イエス様が、その空に昇ってくださった。だから、そのイエス様とつながっている私たちも、その果てしない空に、本当の自分のところに、連れて行っていただけます。  今日の「第一朗読」の「使徒言行録」で、弟子たちが、空を見上げている場面がありました。私たちも、たまにはぜひ空を見上げてみましょう。空は目に見える永遠だからです。永遠はどこか遠くにあるのではなく、まさに今、私が見上げている、この空が、文字通りの意味で永遠だ、ということに気がついているでしょうか。目先のことで思い悩んでばかりいる私たちですが、イエス様が昇っていかれた空を見上げて、自分自身がこの空よりも広い神秘であり、永遠の命であること、思い起こしましょう。そして、その空の上から、今の自分を見つめ直してみましょう。

第一朗読 使徒言行録 1:1-11
テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」


第二朗読 使徒パウロのエフェソの教会への手紙 1:17-23
皆さん、どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。


福音朗読 マタイによる福音 28:16-20
そのとき、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

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