桃山教会

年間第7主日 説教敵を愛せよ

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2023年2月19日
  • 福音箇所
  • マタイ福音書5章38~48節
  • だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい。(マタイ5:39)

 数年前のことですが、高校時代の友人からもらった年賀状に、とてもびっくりさせられたことがあります。彼は、結婚していて、二人の子供がいて、いつも家族の写真入りの年賀状を送ってくれてたんですが、ところがある年、それが一変して、もう家族の写真はなくて、一面にビッグバード、あのセサミストリートの黄色い鳥ですが、それだけが大きく描かれている。そしてその片隅に、小さくこう書かれていたんです。「誰もが自分だということに気がつきました。」一体彼に何があったんだ、って、しばらくその年賀状を見つめてあっけにとられていましたが、やがて私は直感しました。彼は別に宗教などやっていませんが、宗教を仕事にしている私ではなくて、むしろ、就職して社会で働いて結婚して子供を育てて、という生き方をしてきた、彼の方が、宗教的な境地を生きてるんだ、そう思いました。  「誰もが自分だと気づきました」というのは、今日パウロが言っている「全てはあなたがたのものです」というのと同じことだからです。これは、明治時代の浄土真宗のお坊さんであり、哲学者でもあった清沢満之という人も、こう言っています。「私たちはものが欲しい、家族や子孫が欲しい、それで争ったり思い悩むけれども、別に何にもしなくても、今のままでも、すべてのものも、人も、もう全部私のものじゃないか。つまり、宇宙万物は一つなんだから、もう既に、天地万物全てが私の財産、私の家族、私の子孫なんだ、ということです。「すべては私のものだ。誰もが自分なのだ。」ここに目が開かれれば、「敵を愛する」という今日のイエス様の言葉も、むちゃくちゃ厳しい無理な命令、というよりも、ありのままの私たち人間の姿を、そのまま語っているだけ、ということも見えてきそうです。隣人も私、敵も私、すべては私、だから、敵を私のように愛するのは当たり前ということになります。  思い出すのは、かつて幸福の科学に出家した清水富美加さん、Twitterでこんなことを語っていました。「人、一人の人生など、嬉しい苦しいの感情など、省略して、漠然と窓の向こうに在る流れる景色を眺めるだけなら、世界をとても愛しく思える。」嬉しいとか、苦しいとかいう私の感情、あれが欲しい、こうしたいという私の人生の欲望、そういったことを超えた愛おしいものが見えてきた。まさに、「誰もが自分だということに気づいた」、そんな、意味でしょう。  最後にインドの大統領も務めた哲学者ラーダークリシュナンの有名な言葉をご紹介します。「隣人を自分自身のように愛しなさい。なぜなら隣人はあなただからです。隣人をあなたとは別人だと思い込んでいるならそれは幻想です。」私の隣人とは私です。私の敵とは私です。だから私たちはイエス様がおっしゃる通り、隣人を愛する。敵をも愛する。そして、今日パウロが締めくくっているように、「一切は私のもの、そして、私はキリストのもの、キリストは神のもの」です。

第一朗読  レビ記 19:1-2、17-18
主はモーセに仰せになった。イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい。 あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。 心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。


第二朗読  コリントの信徒への手紙一(3:16-23)
(皆さん、)あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。
「神は、知恵のある者たちをその悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、また、
「主は知っておられる、知恵のある者たちの論議がむなしいことを」
とも書いてあります。ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。


福音朗読  マタイによる福音書(5:38-48)
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。 だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

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