桃山教会

年間第6主日 説教律法とイエス

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2023年2月12日
  • 福音箇所
  • マタイ福音書5章17~37節
  • 途中で早く和解しなさい。(マタイ5:25)

「マタイ福音書」では、イエス様は、偉大な律法の教師として描かれています。それは、例えば私だったら、教会でお話をする時、「こうだと思います」「こうなんじゃないでしょうか」「こうなのかもしれませんね」そんなふうに、ぬらりくらりと下手に突っ込まれないようにおどおどと話す。そんな感じですが、イエス様は、全然違います。「律法にはこう書かれているが、しかし、わたしは言っておく。しかと聞いておけ。」みたいに、自信満々、権威を持って、全てを明確に、断言なさいます。  よく、イエス様は、ユダヤ教の厳し過ぎる律法を批判したかのように言われます。でも、実際は、イエス様の言うことは、例えば、「律法では姦淫するなと命じられているけれども、みだらな思いで女を見るだけでもうアウトなんだ」とか、「律法で殺すなと命じられているけれども、『ばか』と言っただけでもう地獄に落ちるんだ」とか、むしろ律法よりも凄まじく、厳しい話になっています。これはつまり、形だけ、うわべだけ、律法を守っていればいいんじゃなくって、大切なのは、「心に愛があるか」それがすべてなんだ、ということでしょう。  今日、イエス様は、こんなことも言っています。「律法では、誓いは必ず果たせと命じられているが、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。」以前、私はこの音声配信で、「味の素」のCook Doシリーズを全部食べる、そう決心した、と言いましたが、実は、もう、すぐに止めてしまいました。ちょっと味が濃くって、これを続けるのはきついなぁと思ったし、でも麻婆豆腐ならいけるかなって作ったら、ああ、これなら「丸美屋」の方がはるかにいいって、やっぱり私はCook Doの人じゃなかったと悟ったわけです。初志貫徹、一度決めたことは最後までやり遂げるというのは一見かっこいいですが、でも、それは結局、エゴイズムです。心に、愛がありません。従うべきなのは自分が勝手に立てた誓いではなくて、今生きている神様の御心です。マルチン・ルターは、カトリックの修道誓願を破って、神父を辞めて、結婚しました。こうして宗教改革が、成し遂げられていきました。マザー・テレサも、終生誓願を立てていた修道会を飛び出して、たった一人で、あのような活動を始めていきました。もし、二人が、頑なに最初の誓いを果たしていたら、神様のご計画を妨げてしまっていたかもしれません。神様の計画はいつも、人間の思いや予測をはるかに超えているものです。そもそも、神様自身が、ご自分の誓いを破っている。モーセと結んだ契約、「人間が神を裏切ったら必ず滅ぼす」という、その誓い。これを神様がもしちゃんと守ったなら、神を裏切りまくった人間に、救いなどありませんでした。でも、神様は、自らの誓いを破って、ひとり子イエス様を十字架のいけにえにしてまで、私たちを救ってくださった。ここに誓いを超える「愛」があります。  だから私たちも、勝手に、「誓いだ」「誓願だ」「決心だ」とか言って、心を頑なにして、神様のご計画を邪魔しないようにしましょう。大切なのは、自分の決心に立ち返ることではありません。今、生きておられる神様に、愛に、立ち返ることです。

第一朗読  シラ書(集会の書) 15:15-20
その意志さえあれば、お前は掟を守り、しかも快く忠実にそれを行うことができる。主は、お前の前に火と水を置かれた。手を差し伸べて、欲しい方を取ればよい。人間の前には、生と死が置かれている。望んで選んだ道が、彼に与えられる。主の知恵は豊かであり、主の力は強く、すべてを見通される。主は、御自分を畏れる人たちに目を注がれる。人間の行いはすべて主に知られている。主は、不信仰であれとは、だれにも命じたことはなく、罪を犯すことを、許されたこともなかった。


第二朗読  コリントの信徒への手紙一(2:6-10)
(皆さん、)わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。


福音朗読  マタイによる福音書(5:17-37)
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)《「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだと思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」》「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。《兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、 途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで決してそこから出ることはできない。》」「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」《もし右の目があなたをつまずかせるならえぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし右の手があなたをつまずかせるなら切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても全身が地獄に落ちない方がましである。」「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」》また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。《天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。》あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

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