桃山教会

年間第2主日 説教神の小羊

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2023年1月15日
  • 福音箇所
  • ヨハネ福音書1章29~34節
  • わたしの後から一人の人が来られる。(ヨハネ1:30)

 東京で働いていた頃、国立にある独身寮に住んでいたんですが、近くに有名な「谷保天満宮」通称「やぼてん」という神社がありました。天神様ですから梅林があって、毎年この季節、1月半ばになると早くも梅の花がほころび始めて、寒さはまだまだ厳しくなってゆく中にも、もう春を感じられる、そういう雰囲気が好きで、しばしば、冬の「やぼてん」を訪れました。  八木重吉に「梅」という詩があります。こんな詩です。「眼がさめたように 梅にも梅自身の気持がわかって来て そう思っているうちに花が咲いたのだろう そして 寒い朝霜ができるように 梅自からの気持ちがそのまま香にもなるのだろう」きっと、私たちが本当に愛する生き方ができるんだとしたら、きっと、こういう風になんだろうなぁと思わさせられます。寒い冬に、もうじっと立ち尽くしている梅ですが、そんな中で、自分自身が何者かがだんだんわかってきて、そしたらもう花が咲き始めるというわけで、そこには「無理矢理」とか「力ずく」とか「焦り」とか、そんなものは、全くありません。  私たちだって、それまで私が知らなかった本当の私の姿、それを知ったときに、やっと自ずと、愛する生き方が始まるんだと思います。そして、「知らなかった私を知る」、それは、「知らなかったキリストを知る」、それと重なっているに、違いありません。「聖書」にこうあります。「永遠の命とはイエス・キリストを知ることです。」キリストを知ること、本当の私を知ること、それが、永遠の命です。今日の福音で、洗礼者ヨハネは、「私はこの方を知らなかった。」というセリフを2回繰り返しています。つまり、ヨハネは、キリストを知らなかった。でも、今日の場面で、ついに、今その方が自分の方へやって来るのを見てこう言いました。「見よ。世の罪を取り除く神の小羊だ。」  私たちはここで、河原町教会のステンドグラスを思い出しましょう。あれは「天地創造」をイメージしているそうですが、目に飛び込んでくるのは、そこに描かれている1匹の小羊です。そして、もしあの小羊があそこになかったら、たちまちにして、このステンドグラスも、この聖堂も、さらには全世界も、バラバラバラバラっと崩れ落ちてしまうんだ、って、そんな感覚に襲われる。それが、あのステンドグラスの迫力です。この私たちが、あの神の小羊キリストの贖いによってだけ、支えられている。それが鮮やかに迫ってきます。河原町教会にお越しの際には、ステンドグラスを見上げて、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊だ」という、今日のヨハネの言葉を、思い出してみてください。  「本当の自分を知る」、それは、「自分が贖われたものであることを知る」ということに他なりません。私たちは、神の小羊キリストに贖われたから、罪が許されたから、本当の自分自身を、もう知っているはずです。だから、どんなに寒くても、花が咲き始めます。まことの愛の生き方が、もうこの私にも始まっています。

第一朗読  イザヤ書(49:3、5-6)
(主は)わたしに言われた あなたはわたしの僕、イスラエル あなたによってわたしの輝きは現れる、と。主の御目にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力。今や、主は言われる。ヤコブを御もとに立ち帰らせ イスラエルを集めるために 母の胎にあったわたしを 御自分の僕として形づくられた主はこう言われる。わたしはあなたを僕として ヤコブの諸部族を立ち上がらせ イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして、わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。


第二朗読  コリントの信徒への手紙一(1:1-3)
神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。


福音朗読  ヨハネによる福音書(1:29-34)
(そのとき、)ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

過去の主日説教

ミサのページへ戻る