桃山教会

主の公現 説教主の公現

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2023年1月8日
  • 福音箇所
  • マタイ福音書2章1~12節
  • これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。(ルカ2:3)

 『100万回生きたねこ』という佐野洋子さんの絵本があります。100万回も生まれ変わった猫でしたが、ただ、自分のことにしか興味がありません。そんな猫が、本当に大切なものを見つけた。初めて自分以外のもののために生きる意味を見つけた。そうしたら、もう生き返ることはなかった。そんな物語です。本当に大切なものと出会った時に、それまで必死にしがみついていた自分自身を、やっと捨て去ることができる。そういう普遍的なテーマが含まれています。これは、「命が一番大切だと思っていた頃、生きるのが苦しかった。命より大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった。」という星野富弘さんの言葉にも通じると思います。  人は、いろいろな宝物、自分を幸せにしてくれるだろう、そう思うものを、手に入れ続けて、それで、今の自分があります。でも、この世界は、自分の計画で手に入れたものだけでは、本当に満足できるようには作られていません。だから、誰もが否応なく、今日の博士たちのように、探し求める旅を、まだまだ続けていくことになります。「100万回生きたねこ」のように、何回も生き返らなければならない。失敗を重ねながら、命よりも大切なものを、自分よりも大切なものを、探し続けるのが、私たちの人生で、そして、必ず、どこかで、やっと、イエス様と出会う。それで、やっと死ねる。だから、それまでの日々は、全然イエス様なんかと出会えていないような、そんな毎日を、私たちは続けていくことになるし、それでいいんだと思います。「探し求めている」ということは、「もう既に出会っている」のと同じです。いろんな宝物を手に入れてきた。けれども、それが自分を満たしてくれない。そのこと、私たちはもう気づいています。  ただ、一度手に入れたものを、これまでの自分を、手放すことは、容易ではありません。ついに、イエス様と出会った時、喜んで手放すことができます。3人の博士たち、黄金、乳香、没薬を手放しました。「博士」というのは原文だと「マギ」と言う言葉で、これは「魔術師」や「星占い師」のことです。黄金や乳香や没薬は、そんなマギたちの大切な商売道具であり、宝物でした。それを喜んで手放しました。イエス様と会えたから、手放すことができました。もう魔術や星占いはしない。古い自分を捨てて、命よりも大切な命をついに歩み始めます。  フランシスコ教皇様は、「良心の糾明を1日2分間でもしてみてください。」と語りました。「良心の糾明」とは、1日の終わりに自分を振り返り、心の中を調べることです。そして、何かに気がつくということです。「良心の究明」は、もう生き返らない自分を見つめる時間です。2分間だけ、今の自分の黄金、乳香、没薬を、手放す時間です。

第一朗読  イザヤ書(60:1-6)
(エルサレムよ、)起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。国々はあなたを照らす光に向かい 王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから、娘たちは抱かれて、進んで来る。そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ、国々の富はあなたのもとに集まる。らくだの大群、ミディアンとエファの若いらくだが あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。


第二朗読  エフェソの信徒への手紙(3:2,3, 5-6)
(皆さん、)あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。


福音朗読  マタイによる福音書(2:1-12)
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。 お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

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