桃山教会

神の母聖マリア神の母聖マリア

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2023年1月1日
  • 福音箇所
  • ルカ福音書2章16節~21節
  • 飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。(ルカ2:16)

 新年あけましておめでとうございます。去年の元旦から1年経ってしまいましたが、1年ということは、地球が太陽の周りを一回りしたということです。その距離はざっと10億キロ。速度はなんと秒速30キロという速さです。しかも、1年経ってまた元の場所に戻ってきた、なんて、呑気な話ではありません。太陽系自体も、銀河系の中をすごい速さで公転しているし、さらには、この宇宙全体が、ものすごいスピードで膨張し続けている。ということもあって、つまり、この私は、今、この瞬間にいる、この地点に、未来永劫、もう決して戻ってくることは、できません。過ぎ去った時間は戻ってこない。それと同じように、過ぎ去った場所も、戻ってこないわけです。「今、ここ」というのはそういうものです。でも、全くでたらめに動いている、ということではなくて、天体の運行にはちゃんと秩序が、あるわけで、それを見ると、やはり、人間を遥かに超えた計らいが、この宇宙を支配しているのがわかります。そして、その秩序を、人間がどうこうすることは、決して、できません。人間が何をしていようが、そんなことに、全くお構いなく、ちゃんと、地球は規則通り、回り続けている。そのことに思いを馳せてみましょう。  「全てが神様のご計画通りになっている。」この大きな安心感は、聖書を読んでいても、感じられます。今日の「第一朗読」の「民数記」は、エジプトを脱出して荒野を旅する民を、神様が祝福してくださっている、新年にふさわしい嬉しい場面ですが、この「出エジプト」の出来事も、人間の意志とか努力によってではなくて、ひとえに、「神様の計らい」によって成し遂げられていったものです。そして、「第二朗読」の「ガラテヤ書」でも、人間の力ではなくって、ひとえに、「時が満ちた」から、マリア様からイエス様が生まれたんだ、ということが語られています。だから、今も、ものすごいスピードで私のいるこの地球が、宇宙空間を突き進んでいる、それに始まり、私が出会う全ての出来事、全ての気持ち、不安とか怒りとかも含めて、そこに、私たちは「神様の計らい」を見出していくことができる、はずです。それは、今日のマリア様の、「出来事を全て心に納める」という姿勢です。全てのことを裁かずに心に納める、というか、裁いてしまう、その事実さえも心に納める、「全て神様の計らい通りになっている」。自分の思い通りにならないということは、神様の思い通りになっているということなんだ、と、いうところに心を向ける、そんな姿勢です。福音を伝えられた人には、必ずこういう視野がひらけてきます。マリア様とヨセフ様も、馬小屋で出産しなければならなかった、不安も、惨めさも、あったかもしれませんが、そこに、羊飼いたちがやってきてくれた。「その子は救い主なんですよ。天使が私たちにそう告げたんです。」まさに、羊飼いたちは福音を伝えてくれたんです。野次馬根性でイエス様を見にきたわけではありません。これで、マリア様とヨセフ様は、出来事の見方を変えることができたはずです。全て、自分に起こる出来事を、福音を伝えられているものとして、眺めていけたらと思います。  皆様の新しい1年が素晴らしい年となりますようお祈りいたしております。

第一朗読  民数記(6:22-27)
主はモーセに仰せになった。アロンとその子らに言いなさい。あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。主があなたを祝福し、あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし あなたに恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて あなたに平安を賜るように。彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。


第二朗読  ガラテヤの信徒への手紙(4:4-7)
(皆さん、)時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。


福音朗読  ルカによる福音(2:16-21)
(そのとき、羊飼いたちは)急いで行って、マリアとヨセフ、また夜通し羊の群れの番をしていた。その光景を見て、(彼らは、)この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

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