桃山教会

主の降誕(夜半ミサ)主の降誕

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2022年12月25日
  • 福音箇所
  • ルカ福音書2章1節~14節
  • 夜通し羊の群れの番をしていた。(マタイ1:20)

 皆様、主のご降誕おめでとうございます。今日の、イエス様誕生の場面は、二つの段落に分けられています。第一段落は、「皇帝アウグストゥスの住民登録の時に、ベツレヘムでイエスが生まれました。」という、この地上でこんなことが起きました、という日常的な、ニュースが読まれます。一方の第二段落は、「天使」という人間の日常を超えた存在が登場する、天上的な話になっています。つまり、イエス様誕生、という1つの出来事が、地上から、と、そして天上から、その両方の視点で見つめられています。  どうしても私たちは、日常的な、地上的な生き方に終始して、毎日の生活を過ごしていきます。なので、せっかくのクリスマスも、慌ただしい年中行事の1つとして、やり過ごされて、しまいがち。「ちょっと大変な行事が1つ終わった、やれやれ」って、終わってしまう。つまり、今日の、第一段落だけで、終わってしまっています。「イエス様が生まれた」というそのニュースの現場から、ちょっと離れた、寂しくて、静かな夜の野原で、告げられていた、天上的な、「天使たちの語りかけ」に、気がつかなかったら、残念です。  ふと思い出すのは、『となりのトトロ』にまつわる都市伝説です。「実はサツキとメイはもう死んでいる。トトロは死神で、ネコバスはあの世ゆきのバスだ。」というようなもので、「せっかくの心温まる名作アニメに、そんなでっち上げはけしからん。」というのも一理ありますが、でも一方で、「死の国とは何か。それはこの地上を遥かに超える、永遠の命であり、救いではありえないのか。」という、宗教的なテーマから見れば、この都市伝説は、かえって、この物語を非常に深くて豊かなものにしてくれている、ともいえます。サツキとメイがもう死んでいたとしても、あの物語が心温まる素晴らしいものであることに、何ら変わりもない。どころかむしろ、今幸せな人だけではなくて、悲しみや痛みに沈んでいる人にとっても、希望と救いの物語に、なっていくはずです。クリスマスを祝って、ケーキを食べて、プレゼントを交換して、家族や友達と、楽しく過ごせるのは幸せですが、でも、そのような地上的な喜びを全部失うようなことがあっても、今日の羊飼いのように、暗くて、静かな忍耐の夜を過ごしていても、それでも、天と地はつながり、生と死は結ばれ、天使は羊飼いを祝福します。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。羊飼いたちは、地上を超える命、やがて誰にでも訪れる「死」を超える、永遠の命を、この天使たちの出現によって、ありありと、悟ったのでは、ないでしょうか。  今日はイエス様の誕生をお祝いしますが、使徒信条だと、「乙女マリアから生まれ」のもうそのすぐその後の文章は、「ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に」となります。誕生を記念するクリスマスと、死を記念する復活祭は、「直結」しています。今日の第一段落のような、たんたんと語られるように過ぎてゆく、苦しくて、平凡な日常のベールの後ろには、必ず、天使たちが歌う第二段落が見え隠れしています。天使の歌声をいつも聴きながら、地上での残りの日々、忍耐と希望と、そして愛のうちに生きて行きましょう。

第一朗読  イザヤの預言(9:1-3,5-6)
闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭をあなたはミディアンの日のように、折ってくださった。ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。


第二朗読  テトスへの手紙(2:11-14)
(愛する者よ、)すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。


福音朗読  ルカによる福音(2:1-14)
 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。  その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

過去の主日説教

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