桃山教会

年間第33主日説教エルサレム滅亡の預言

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2022年11月13日
  • 福音箇所
  • ルカ福音書21章5節~19節
  • ついて行ってはならない。(ルカ21:8)

 典礼暦年も終わりに近づいて、ミサの福音も、イエス様が、エルサレムで世の終わりについて語っている場面です。この「終わり」には、まもなくイエス様自身が十字架につけられて「終わり」の時を迎える、それが重なりますし、さらには、私たち、一人ひとりの「終わり」、死を迎える時、それも重なるはずです。  「終わりが近づいている」それを意識した時、必ず自分は変わります。実は今、私は、味の素の調味料「クックドゥー」これを全種類作って食べる、それに取り組んでいます。どうしてこんなことを始めたかというと、まぁ今から35年ほど前、高校生だった私は、京成小岩の青楓チェーンストアでアルバイトをしていて、クックドゥーシリーズをずらりと並べた特売の棚をよく作っていて、そして、「これは人気商品だ。ほんとによく売れる。きっとおいしいんだろう。自分も社会人になったらこういうのを使って自炊するんだ。」そんなほのかな憧れを抱いていたことを、ふと思い出したからです。それなのに、それから35年も経ってるのに、もう人生の終わりも見えてきているのに、今に至るまで一回もクックドゥーを買ったことがない。そのことに気づいて、たまらなく、いたたまれない、このまま一度も買わずに終わりを迎える、それは残念すぎるだろう、と、今からでも遅くないって一念発起して、「これから全種類食べるんだ」と、そうなったわけです。今のところ、八宝菜、回鍋肉、青椒肉糸、酢豚、と、こう作ってきて、まだまだこれから、棒棒鶏とか海老チリとか、こう先は長いし、さすがにあの濃厚の味付けだと、せいぜい週1ぐらいのペースでしか無理だ、とか思いつつも、でも、こんなことでも、何か、こう、買い物や自炊、さらには人生そのものまでもが、生き生きとしてきました。ものすごい凡俗な話なんですけれども、凡俗だからこそ、かえって、「終わりを見つめたら今が変わる」という現実を、すごい身近に実感できたわけで、キリスト教終末論って、難しい神学の世界じゃなくって、極めて日常的なことを通じたスピリチュアルティなんだって思いました。もちろん、終わってしまう、そこには、寂しさ、切なさ、それもありますが、でも、それをも、じっと堪えて、受け入れて、今日一日を、いわば忍耐のうちに過ごしてゆく。ここに「忍耐の神秘」があるんじゃないでしょうか。  イエス様、今日、「忍耐によっていのちを勝ち取りなさい」という名台詞を語っています。「忍耐によっていのちを勝ち取りなさい」これともう一つ、「人に尊ばれる者は神に忌み嫌われる」この二つこそ、「ルカ福音」の「二大名言」だと私は思っています。終わりを迎えてゆく私、そこには、人間の目線で見たら尊ぶことなどできない、多くの苦しみが待ち構えているだけですが、でも、それを通して、私たちは本当のいのちに出会っていきます。「人に尊ばれる者は神に忌み嫌われる」「忍耐によっていのちを勝ち取りなさい」この言葉を胸に抱いて、終わりに向かって歩んでいきましょう。そして「死ぬ前にやっておきたい」それがあるなら、やってみてください。きっと何か新しいものが、見えてくるに違いなくて、それこそが、終末論の魅力です。

第一朗読  マラキの預言(3:19-20)
見よ、その日が来る、炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには、義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。


第二朗読  テサロニケの教会への手紙二(3:7-12)
(皆さん、あなたがたは、)わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。


福音朗読  ルカによる福音(21:5-19)
(そのとき、)ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

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