桃山教会

年間第27主日説教からし種一粒ほどの信仰

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2022年10月2日
  • 福音箇所
  • ルカ福音書17章5節~10節
  • 「抜け出して海に根を下ろせ」(ルカ17:6)

今日のイエス様の言葉を聞いたら、もうすっきり爽やか気分爽快にならなくちゃいけません。イエス様が、はっきりと「あなたたちには信仰など全くない」そう言い切ってくださっているからです。見栄を張るのはやめて、無駄な抵抗はやめて、「自分に信仰なんてない」このことを素直に受け入れましょう。そうすれば気持ちも楽になります。今日のこの場面ですが、この朗読個所の直前で、イエス様は、「何回でも人の罪を許しなさい」そういう話をしていました。これを聞いた弟子たちが、「人を許せるためにはもっと信仰が強くならなくっちゃ。まだまだ自分の信仰は足りない」そう思って、それで、イエス様に、「私たちの信仰を増してください」と、多分、謙遜さえ込めたつもりで、お願いします。でも、それを聞いたイエス様は、「何を言ってるんだ。うぬぼれるな。信仰が足りないんじゃなくて、そもそも、あなたたちには信仰なんて全くないじゃないか。からし種一粒ほどの信仰さえない。」そう、おっしゃいます。「もし、からし種一粒ほどの信仰でもあるなら、桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言ってもその通りになる。」信仰とはそういうものなんだというわけです。私たちは、よく、「あの人は信仰が強い」とか「自分は信仰が弱い」とか言っていますが、神様の目から見れば「五十歩百歩」なんてものでもなくて、もう、みんな、一律に「信仰ゼロ」ということになります。このことを素直に受け入れてみることから、始めましょう。  信仰というのは、貯金や学力ではありませんので、人間の努力で多くしたり、また、逆に、人間の怠慢で少なくしたり、そんなことができるものではありません。「たくさんお祈りをしたから信仰が増えた」「たくさん愛の行いをしたから信仰が増えた」そんな、祈りや愛の行いの報酬として信仰がもらえるわけではありません。むしろ、祈りや愛の行いというのは、いくらやったとしても「『私は取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです。』そう言いなさい。」と今日、イエス様は教えてくださいます。  私はもう洗礼を受けて25年も経ちますが、謙遜でも何でもなく、「私には信仰なんてありません。」そう断言できます。喧嘩を売っているようですが、これは皆さんにしたって、同じはずです。皆さんにも、信仰なんてありません。だって、もし、みんな信仰を持っていたら、桑の木がみんな海の中に飛び込まくって大変、ですが、実際にそんな桑の木、1本も見たことありません。「私には信仰があります」なんて、誰にも言えません。言えるとしたら「ミサに行ってます」とか「お祈りしてます」とか「聖書を読んでます」とか「忍耐や奉仕を心がけています」とかそういうことで、それはきっと大切なことです。だから、そういうことを、それなりにした上で、こう言いましょう。「しなければならないことをしただけです。」  さあ、今日、私たちはイエス様から「あなたたちに信仰はない」と、お墨付きをいただけました。そこから開けてくるもの、そこから始まってゆくもの、それこそが本物の何か、神様から来る何かのはずです。

第一朗読  ハバクク書(1:2-3、2:2-4)
主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。わたしが、あなたに「不法」と訴えているのに あなたは助けてくださらない。どうして、あなたはわたしに災いを見させ 労苦に目を留めさせられるのか。暴虐と不法がわたしの前にあり 争いが起こり、いさかいが持ち上がっている。主はわたしに答えて、言われた。「幻を書き記せ。走りながらでも読めるように板の上にはっきりと記せ。定められた時のためにもうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」


第二朗読  テモテへの手紙二(1:6-8、13-14)
(愛する者よ、)わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。 キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい。あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。


福音朗読  ルカによる福音(17:5-10)
使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」

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