桃山教会

主日の説教三位一体の主日

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2022年6月12日
  • 福音箇所
  • ヨハネ福音書16章12~15節
  • 今、あなたがたには理解できない。(ヨハネ16:12)

今日は「三位一体」の主日です。昔、小学生向けの要理の本に、「父と子と聖霊は神様の家族の名前です。」と書かれていました。この表現は、神学的に誤解を招く恐れが指摘されたのかもしれません。本が改訂された時に、削除されていました。でも、「父と子と聖霊は神様の家族です。」と言っても、普通の信仰生活には何の問題もないし、むしろ、私たちの祈りや学びを深めてくれると思います。それは、私たち一人一人だって、神様の家族ですから、「父と子と聖霊」という温かい家族のもとに、私たちは、お祈り一つで、いつでも、「ただいま」って、帰っていける、そんなイメージをもたらしてくれます。「家に帰れば、積水ハウス」ではありませんが、外でいろいろあって、疲れたり傷ついたりしても、家に帰って、家族との交わりの中で、飾らない自分を過ごして、癒やしや元気を、汲み取っていく、そしてまた、「行ってきます」と出かけてゆける。もちろん、家族がいない方もいるし、家庭が針のむしろだ、帰宅恐怖症だ、という場合も、当然あります。でも、家族がいてもいなくても、居心地が良くても悪くても、私たちは、誰でも、神様の家族ですから、「父と子と聖霊」、その家に帰っていくことができます。そして、自分を隠さず、飾らず、気取らずに、全部さらけ出して、この家族とともに、濃密な時を過ごすことができます。  「三位一体の神学」には、汲み尽くせない豊かさと多様性がありますが、こういう言い方もされます。「三位一体の神秘は、神の内面生活の啓示です。」内面生活って、私たちの内面生活もそうですが、他の人には隠しているものです。そして仮面をかぶって、演技をしている。多かれ少なかれ、私たちの社会生活って、そういうものです。そういう演技も、社会共同体のためには大切だし、そこにだって、愛は、あります。でも時に、私たちは、誰か心を許せる人に、自分の内面生活をさらけ出して、打ち明けるのではないでしょうか。普段、当たり障りのない話ばかりで人をやり過ごしている、その方が楽ですし、内面生活を開示するのは勇気がいるし、面倒ですが、でも、「この人とはもっと深くつながっていたい」、そう思うから、自分をさらけ出すわけです。で、きっと、神様だって、ご自分が「三位一体だ」ってさらけ出すこと、すごい、エネルギーです。「わたしは唯一、全能、永遠の神だ。恐るべし。」って、表面的な当たり障りのない神様として演技してた方がはるかに楽だし、かっこよかった。なのに、人間になって痛めつけられて、侮辱されて、十字架で殺されてしまった。それでも、私たちに、ご自分をさらけ出すさずには、いられなかった。聖霊にしたって、私たちみたいに、「興味があるけれど、相手の方から話しかけてほしい」、だなんて言ってないで、神様が、この私に対する興味をむき出しにして、向こうからやってきて、リードしてくれる、それが聖霊です。  こうして、啓示された神様の内面生活、「父と子と聖霊」、この温かい、熱い、神様の交わりに、私たちも、いつでも、自分をさらけ出すために、帰ってゆきましょう。「父と子と聖霊のみ名によってアーメン」

第一朗読  箴言(8:22-31)
(神の知恵は語る。)「主は、その道の初めにわたしを造られた。いにしえの御業になお、先立って。永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。わたしは生み出されていた 深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったがわたしは生み出されていた。大地も野も、地上の最初の塵もまだ造られていなかった。わたしはそこにいた 主が天をその位置に備え深淵の面に輪を描いて境界とされたとき、主が上から雲に力をもたせ深淵の源に勢いを与えられたとき、この原始の海に境界を定め水が岸を越えないようにし、大地の基を定められたとき。御もとにあって、わたしは巧みな者となり日々、主を楽しませる者となって絶えず主の御前で楽を奏し、主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し、人の子らと共に楽しむ。」


第二朗読  ローマの信徒への手紙(5:1-5)
(皆さん、)わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。


福音朗読  ヨハネによる福音(16:12-15)
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

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