桃山教会

主日の説教復活節第6主日説教 精霊を与える約束

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2022年5月22日
  • 福音箇所
  • ヨハネ福音書14章23~29節
  • 心を騒がせるな。おびえるな。(ヨハネ14:27)

 今日、イエス様は、「聖霊がすべてを思い起こさせてくださるから」、そうおっしゃいます。「忘れていたことを思い出す」、これはとても大切な、私たちの人生の課題です。  プラトンは「想起」ギリシャ語で「アナムネーシス」ということを説きました。「私たちの魂はもともと真実の世界にいたけれども、この世に転落してしまった。それで、魂は時々、かつていた真実の世界のことを思い起こして、たまらない憧れの気持ちを抱いて、真理を求め始めるのだ」といいます。だとすれば、私たちが何かに強い憧れを抱く時、そこにはきっと、真理に通じる何かがあるはずで、だから、自分の、本当に好きなことを見つける、それは、霊的にも大切なことなんだと思います。 「忘れてしまっていたことを思い出した時から、その人の生き方は変わってゆく。」そんなテーマが隠されていたのが、今から20年ほど前に大ヒットした『千と千尋の神隠し』という宮崎監督のアニメ映画でした。主人公の千尋は、自分が小さい頃、川で溺れて死にかけた、ということをすっかり忘れていました。でも、そのことを思い出した。川に溺れた自分を助けてくれた人がいたことも、思い出した。そして、思い出した時から、千尋に全く新しい生き方が始まってゆく、そんな物語でした。私たちも皆、死にかけていました。死ななければならなかったんです。その時、自分の命を捨てて、私を助けてくれた人がいた。でも、私はそんなことをすっかり忘れ去って、何事もなかったかのように、自分勝手に、傲慢に、不平不満も言いながら、毎日を過ごしてきた。けれども、もし、「命を捨てて私の命を救ってくれた人がいたんだ。」そのことをある時思い出した、としたら、絶対に、私の生き方は変わっていくはずです。「自分の命は贖われた命だったんだ。贖われた命として、自分はどう生きたらいいんだろう。」そんなふうに、真剣に自分の命を見つめ直して、必ず、新しい生き方が始まってゆくはずです。私たちが忘れてしまった大切なこと、「神の子が、イエス様が、この私のために十字架につけられて死んでくださったこと」、このことを思い起こした時から、私たちの生き方、必ず変わってゆきます。『千と千尋の神隠し』に、という魔女が登場します。銭婆が千尋にこう言う場面があります。「一度あった事は忘れないものさ。ただ思い出せないだけでね。」この、「思い出せなかったことを、ついに思い出した。」それが千尋の新しい命の始まりでした。  「イエス様が私のために十字架につけられて死んだこと」、それは決して2000年前の遠い国の出来事などではありません。この私の中で一度あったことです。たとえどんなに、それが思い出せなくなっていたとしても、一度あった事は、決して私たち、忘れていません。ただ、思い出せないだけです。  そして、今日、イエス様がおっしゃっている通り、聖霊が、一度あったことを、必ず思い出させてくださいます。思い出した時から、私たちの新しい命が始まってゆきます。

第一朗読  使徒たちの宣教 使徒言行録(15:1-2、22-29)
そのころ、ある人々がユダヤからアンティオキアに下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。 この問題について協議するためにエルザレムで集まった使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」


第二朗読  ヨハネの黙示 黙示録(21:10-14、22-23)
一人の天使が、〝霊〟に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。


福音朗読  ヨハネによる福音 ヨハネ福音書(14:23-29)
そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。」

過去の主日説教

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