桃山教会

主日の説教復活節第5主日説教 新しい掟

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2022年5月15日
  • 福音箇所
  • ヨハネ福音書13章31~35節
  • 私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)

私たちは、聖書の言葉を、「自分が納得できるように理解したい」、そう思っているかもしれません。でも、多くの宗教が教えていることは、「自分が納得する」ということではなくて、むしろ、「自分を捨てる」ということです。キリスト教でも「アーメン」と言いますが、それは、自分の思い通りではなくて、「神様のお望みが実現しますように」という祈りです。  だから、聖書を読む時も「納得しよう」と思って読むよりも、まずは、書かれていることを素直に受け入れる、言い方を変えると、「言葉をそのまま食べる」、それが重要です。たとえば、講演会などで、人の話を聞いて、「わかりやすくていい話だった」、そう思う時というのは、自分がもう納得していることを、その人も話してくれたから、だから、「我が意を得たり」って、いい気分になって、「ああいい話だった」となるわけですが、でも、それでは、全然自分の殻の外に、出られません。むしろ、納得できない話を聞かされて、それに忍耐強く耳を傾けてゆく、そうゆう時、私たちは、自分の殻の外側に出ていくことができます。「素直に聞く」ということこそ、「自分を捨てる」ということです。神秘思想家のルドルフ・シュタイナーも、批判せずにひたすら他人の言葉を聞く、このことが極めてスピリチュアルな事柄であり、また優れた霊的な修行でもあることを、主著『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』という本の中で語っています。  それで、今日の福音にはこう書かれていました。「ユダが出て行くと、イエスは言われた。『今や、人の子は栄光を受けた。」最後の晩餐が行われていた部屋から、今、ユダが出て行きました。いよいよ、イエス様の受難が始まるということです。それをイエス様は、「今や、栄光を受けた」、そう捉えています。「受難こそが神の栄光だ」ということで、これは、今日の第一朗読でも、パウロとバルナバが「神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」、そう語っています。自分の思い通りにはならない、苦しみが満ちているのが、私たちの人生ですが、その受難の全てが、栄光であるという逆説、理解も、納得もできませんが、でも、聖書が語っていることです。素直に耳を傾けていましょう。ユダも若い頃、思い描いていた未来、あったと思います。でも、イエス様に出会ってしまい、弟子になってしまい、さらにはイエスを裏切ることになってしまい、なんでこうなるのか、自分でも納得できない、でも、そこに、自分の思いをはるかに超える神の御心が実現していきました。こうして、ユダが出て行ったこの時、それは、イエス様が栄光を受けた時、そうなりました。  そして、その後、イエス様は「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という掟をくださいます。「わたしがあなたがたを愛したように」です。だから、「愛とは何か」を定義するんじゃなくて、「愛の一覧表」を作るんじゃなくて、大切なのは、「ちゃんとイエス様と一緒に生きている」ということです。そして、「イエス様がどんなふうに、この私を愛してくれているのか」、そこに、心の眼差しを、いつも向けていましょう。

第一朗読  使徒たちの宣教 使徒言行録(14:21-27)
その日、パウロとバルナバは、テルベからリストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。


第二朗読  ヨハネの黙示 黙示録(21:1-5)
わたしヨハネは、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言った。


福音朗読  ヨハネによる福音 ヨハネ福音書(13:31-35)
さて、ユダが晩餐の広間から出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

過去の主日説教

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