桃山教会

主日の説教受難の主日(枝の主日)説教

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2022年4月10日
  • 福音箇所
  • ルカ福音書23章1~49節
  • 民衆は立って見つめていた。(ルカ23:35)

キリスト教には特に大きな二つのお祭りがあります。クリスマスと復活祭です。イエス様が生まれたことをお祝いするのがクリスマス、そして、イエス様が死んだことをお祝いするのが、復活祭です。  もちろん、復活祭はキリストの復活も、お祝いするんですが、でも、死と復活は裏表の一つの出来事です。死がなくて、復活だけ、なんてあり得ません。日本語だと「復活祭」という言葉に訳されているので、あたかも復活だけ、みたいな印象ですが、多くの外国語では、復活祭は「パスカ」と呼ばれています。これはユダヤ教の「過ぎ越し」に由来する言葉で、死から命への過ぎ越し、そのすべてのプロセスを指している言葉ですから、復活だけじゃなくて、それと切り離せない、苦しみと死、ひとまとめ、それが「パスカ」です。私たちはどうしても復活だけ欲しい、つまり幸せだけ、喜びや楽しみだけ欲しい、そう望んでしまいますが、でも、今の自分が体験しているすべての苦しみ、不幸も孤独も、不安も、疲れや倦怠感も、鬱々とした思いも、病気も、老いも、生きる意味が見出せない虚しさ、堕落、投げやりな気分、物足りなさ、さらには、私たちの罪、そしてもちろん、私たちの死、こういうものだって、すべて「過ぎ越し」、「パスカ」に欠かせないものです。それがなければ、「パスカ」は成立しません。  今日の受難朗読で語られているのは、イエス様が、そんな私たちのすべての苦しみも、罪も背負って、十字架につけられて死んでゆく、そのお姿です。皆さんは今、どんなことに、さいなまれているでしょうか。どんなふうに虚しく、どんなふうに、生きるのが辛いでしょうか。生きるのが嫌で、虚しく、辛い。だからこそ、私たちは、十字架を背負って、お苦しみになられるイエス様と、固くつながっている。そのことを、今日の受難朗読は、強く、思い起こさせてくれます。イエス様が、苦しみを受けて十字架につけられて死んでゆく、これが、私たちの目に見える方の、復活です。私たちの苦しみ、虚しさ、不幸、この受難の毎日。これ以外のどこかに、純粋なただの復活、だなんてものがあるわけではありません。私たちの、この苦しみこそが、復活です。今日の受難朗読の、クライマックスでは、神殿の垂れ幕が、真ん中から裂けて、そしてイエスが息を引き取られます。ルカは、マタイ、マルコと順番が逆なんですね。先に、垂れ幕が裂けるんです。いずれにしても、私たち、どうしてもこの神殿の垂れ幕の向こう側に、つまり神様のところに、入れなかった。でも、イエス様の受難と死によって、イエス様の体、ともいわれるこの神殿の垂れ幕が、引き裂かれて、それで、私たちは神様とつながりました。だから、私たちの苦しみには、切り裂かれた、裂け目ができていて、そこからちらちらと光が漏れてきて、この、「苦しみが復活なのだ」ということを、私たちはもうちゃんと知っています。  自分の苦しみが、イエスの受難と十字架であることを、復活であることを、今日、受難の主日に見つめていきましょう。 

入城の福音  ルカによる福音(19:28-40)そのとき、イエスは先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」 すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」


第一朗読  イザヤの預言(50:4-7)主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え 疲れた人を励ますように 言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし 弟子として聞き従うようにしてくださる。主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。打とうとする者には背中をまかせ ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。主なる神が助けてくださるから、わたしはそれを嘲りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている わたしが辱められることはない、と。


第二朗読  使徒パウロのフィリピの教会への手紙(2:6-11)イエス・キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。


福音朗読  ルカによる福音(23:1-49)
C そのとき、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。
S 「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」
C そこで、ピラトがイエスに尋問した。
A 「お前がユダヤ人の王なのか。」
C イエスはお答えになった。
十 「それは、あなたが言っていることです。」
C ピラトは祭司長たちと群衆に言った。
A 「わたしはこの男に何の罪も見いだせない。」
C しかし、彼らは言い張った。
S 「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです。」
C これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。へロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。
A 「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
C しかし、人々は一斉に叫んだ。
S 「その男を殺せ。バラバを釈放しろ。」
C このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし、人々は叫び続けた。
S 「十字架につけろ、十字架につけろ。」
C ピラトは三度目に言った。
A 「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
C ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。
十 「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」
C ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた。
十 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
C 人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。
A 「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
C 兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。
A 「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
C イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。
A 「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
C すると、もう一人の方がたしなめた。
A 「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
C そして、言った。
A 「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」
C すると、イエスは言われた。
十 「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」
C 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。
十 「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」
C こう言って息を引き取られた。
百人隊長はこの出来事を見て、神を賛美して言った。
A 「本当に、この人は正しい人だった。」
C 見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

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