桃山教会

主日の説教年間第8主日説教 目にある丸太

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2022年2月27日
  • 福音箇所
  • ルカ福音書6章39~45節
  • まず自分の目から丸太を取り除け。(ルカ6:42)

卒業式の季節です。「仰げば尊し我が師の恩」最近はほとんど歌われないみたいですが、この「師」という言葉、今日、イエス様はこんなことを言っています。「弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも十分に修行を積めば、その師のようになれる。」イエス様がまだ30歳の若さにして、「師」として12人の弟子たちを教育してゆく、このドラマも福音書の見どころの一つなんですが。  皆さんは、これまでの人生で「仰げば尊し」って言えるような、よき「師」に出会えたでしょうか。出会えたとしても、出会えなかったとしても、大丈夫です。というのは、私たちは、もう最高の師、イエス様と出会えたからです。師であるイエス様といつも一緒にいられる。私たちの大きな喜びです。そして、私たちには最高の天の父がいますし、さらには最高の親友、聖霊もいます。聖霊が師でイエスが親友、そっちの方がぴったりする、なら、それでもいいんですが、最高の師がいて、最高の父がいて、最高の友がいて、と、こんなにも恵まれているのが私たちで、誰も一人ぼっちではありません。大きな命との深いつながりのうちに包み込まれている。決して失われることのない永遠のつながりですが。でも、一方で、それをいつも見失ってしまうのも私たちです。今日、イエス様は「盲人が盲人の道案内をすることができようか」と言っていますが、私たち、自分がどんなに愛されているか、どれほどの慈みに包み込まれているか、見えなくなってしまいます。それは、自分の「目の丸太」の仕業です。だからイエス様、「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け」こう言いますが、きっと、これが今日の核心です。この言葉だけが、今日の個所での、たったひとつの命令文になっています。この命令もイエス様らしいなと思います。こうしろ、ああしろ、と、こと細かな指示を出すんじゃなくて、「自分の目から丸太を取り除け」って、どうすればいいんでしょう。パウロが回心した時、「目から鱗が落ちた」ってありますが、「目に鱗」ならまだイメージできるけれど、「目に丸太」って、イエス様は大工さんだったから、目におが屑が入ることはよくあったかも、ですが、「目に丸太」ってビジュアル的にすごいですね。もうこれは、想像を絶するほど私たちは見えていない、ということでしょう。「見えていないことさえ見えていない」という重篤な状況、それが「目に丸太」という表現になってるのかもしれません。じゃあ、どうしようもないじゃないか、ということになりますが、だからこそ、ここはもう、師であるイエス様、父なる神様、親友である聖霊様に、ひたすら「目から丸太を外してください」、すがりつくしか、ないですね。そして、私の欠点を全てゆるして、私のために十字架で死んでくださったイエス様を見つめましょう。人の欠点をゆるせる恵み、というよりも、人の欠点だと決めつけてしまう自分の罪がゆるされる恵みを、祈り求めましょう。  この、「目の丸太」、取り外せない。けれども、神様にはそれがおできになること、私たちは信じています。

第一朗読  シラ書(27:4-7) ふるいを揺さぶると滓が残るように、 人間も話をすると欠点が現れてくるものだ。 陶工の器が、かまどの火で吟味されるように、 人間は論議によって試される。 樹木の手入れは、実を見れば明らかなように、 心の思いは話を聞けば分かる。 話を聞かないうちは、人を褒めてはいけない。 言葉こそ人を判断する試金石であるからだ。


第二朗読  使徒パウロのコリントの教会への手紙(15:54-58) 皆さん、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。 「死は勝利にのみ込まれた。 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。 死よ、お前のとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。


福音朗読  ルカによる福音(6:39-45) そのとき、イエスは弟子たちに、たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」 「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」

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