桃山教会

主日の説教年間第6主日説教 幸いと不幸

菅原神父様のブログ「くまたくんの忘れない場所」の音声配信を文字起こしをしてくださったものです。

  • 2022年2月13日
  • 福音箇所
  • ルカ福音書6章17~26節
  • 今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。(ルカ6:21)

聖書のイエス様の言葉を、自分自身に何度も言い聞かせてみる。そして、その言葉を聞いて、何が自分の中に響いてくるのか。それを見つめようとしますが、そうすぐには分からなくて、だから、少し時間を置いてから、とか、次の日、とかも、また同じ言葉を自分に言い聞かせてみる。今日の福音の言葉は、まさに、そんなことをしてみたい言葉です。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」この言葉についての「解説」なら、注解書を読めば、いやというほど知ることができます。「教科書的な解説をしてくれ」と言われれば、自慢じゃあるけど、私だってそこそこ話すこと、できますし、そういう知識を一通り知っておくことはもちろん大切ですが、でも、そんな解説ではなくて、今の自分の心がこの言葉によって、どう動かされるのか。それは、いくら本を読んでも、どこにも、書いてありません。
 「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」って、この言葉を聞いて、「社会正義のために活動を起こすんだ」あるいは、「財産を全て捨てて出家するんだ」などなど、歴史上そういうふうになった方もたくさんいたし、み言葉に動かされてそうなるというのは、全部、とても、正しい、美しい、ことだと思います。でも、じゃあ、自分はどうなのか。多分、多くの人は、そんな目立ったことする、とまでは、ならないけれども、イエス様が、この言葉を、他ならぬ私に語りかけているわけです。心から耳を傾けてこの言葉を聞いたならば、必ず、自分の何かは変わるんだと思います。どういうわけか、私はこの言葉を言い聞かせていたら、今まで見たことのないような、赤い口内炎ができてしまって、すごく弱った感じになった。でも、一夜で跡形もなく消えて元気になった。弱った時はこの言葉にすがりつきたい。元気が出たら、この言葉に警告されている感じ。もちろん、因果関係、分かりませんし、別に怪しいオカルトチックなことを力説する気はありませんが、ただ、私も50を過ぎて人生の終末が視野に入ってくると、聖書が語っている終末論的、黙示録的、そんな救いのビジュアル?そんなのが、やけにリアリティーを持つようになってきて、注解書よりも口内炎の方が、神様とのつながりの手ごたえというか、確かさというか、確かにあって、結構、宗教ってこうゆうことがものを言うのかな、そんな気もしています。
 それはともかく、根本的なところに立ち戻ると、「聖書の言葉」というのは、読む人を「救う」ための言葉なわけですから、だから、私を救うために、この言葉を、イエス様が今の私に語りかけている。状況説明も、今日はこう書かれています。「山から下りて平らなところにお立ちになった」って、わざわざ、この私のために山から下りてきてくれた感が溢れている。そして、そのイエス様が、こうおっしゃったんです。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」皆さんも、この言葉を自分自身に繰り返し言いきかせて、真剣に、向き合ってみてはいかがでしょうか。

第一朗読  エレミヤの預言(17:5-8) 主はこう言われる。 呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし その心が主を離れ去っている人は。 彼は荒れ地の裸の木。 恵みの雨を見ることなく 人の住めない不毛の地 炎暑の荒れ野を住まいとする。 祝福されよ、主に信頼する人は。 主がその人のよりどころとなられる。 彼は水のほとりに植えられた木。 水路のほとりに根を張り 暑さが襲うのを見ることなく その葉は青々としている。 干ばつの年にも憂いがなく 実を結ぶことをやめない。


第二朗読  使徒パウロのコリントの教会への手紙(1512,:16-20) 皆さん、キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。


福音朗読  ルカによる福音(6:17、20-26) そのとき、イエスは十二人と一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から来ていた。 さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

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